数ヶ月前の記事だが、わしがテレビを見ていて感じた疑問を全部整理して並べていてくれていた。
http://diamond.jp/series/mori/10020/
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スタジオ収録に参加した一般の人たちの笑い声や驚きの声も足す。最近ではスタッフたちのけたたましい笑い声も加えることも流行だ。テロップもたっぷり入れる。VTRの映像にワイプ(小さな小窓)で、スタジオのタレントたちが驚いたり笑ったりしている表情を入れる。
とにかく足せるものは何でも足す。ほとんどフルーツポンチ状態だ。行間や余白がない。だから届かない。
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まさにそうね。タレントの顔大写しな小窓も邪魔なら、さりげなくわざとらしい歓声も邪魔。ドリフ大爆笑みたいなわざとらしい笑い声とは全く違って、この場合耳障りでしかない。
いつだったか、インタビュー画面で、「○○研究所 ○○○○さん」という字幕が右側に縦書きで出ていたとき、あろうことかワイプが「さん」の部分にかぶっていた。出演者に対する敬称である「さん」の上に、わざとらしいタレントの顔を被せたのだが。余りに失礼ではないか?
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最近の事例を2つ挙げる。ひとつはオバマの就任式。
(中略)
だから翌朝、テレビのニュースやワイドショーのいくつかをチェックした。そして驚いた。なぜならほとんどの番組でオバマのスピーチには、ボイスオーバー(声優による吹き替え)処理が施されていたからだ。
かつてはこんな場合、翻訳テロップが当たり前だった。でも画面を凝視せねばならないテロップとは違い、ボイスオーバーなら雑談したり食事をとったりしながら視聴することができる。つまり楽なのだ。わかりやすさばかりを求める社会の最近のニーズもここに合致した。こうして翻訳テロップが淘汰される。今ではNHKスペシャルや報道番組ですら、翻訳テロップよりもボイスオーバーが普通になった。その帰結として「声」が消える。
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英語版の映画を字幕版と吹き替え版とで見比べると、その空気や迫力が全く違う。もちろん字幕の方がよい。吹き替えのわざとらしいまでのしゃべり方が、むしろ本来のactor/actressのしゃべり方を殺してしまうのだ。これはニュースでも同じだろう。
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最近暴走しているもうひとつの加算はモザイク。
(中略)
報道だけではない。最近のテレビ・ドキュメンタリーなどでは、家族の夕食のシーンなどのとき、食卓にモザイクがかかっていることが多い。きっとあなたも一度や二度は目にしていると思う。ほとんどはビールのラベルを隠すためのモザイクだ。仮にその番組の提供スポンサーがキリンでテーブルの上にサッポロが置かれていたというなら(百歩譲って)まだわかるが、なぜか提供はトヨタなのに、やっぱりサッポロにはモザイクだ。スポンサーへの気兼ねですらない。ほとんどオートマティックだ。車のナンバーへのモザイクも同様。まるで条件反射のように付けている。
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モザイクに関してはこれ以外にも全部的確に書かれているのだが、全て引用してもきりがないので、この部分だけ。タレントが地方を旅する番組で、どっかの駅へ旅館からお迎えのバスが来る。そのバスを追いかける車から撮ったシーン、もれなくナンバープレートにモザイクが入っている。これが不愉快でならない。○○温泉・△△館と紹介され、URLや電話番号まで紹介されていることもある。それでナンバープレートを隠す意味がわからない。似たような事例で、タレントがいきなり家に泊めてくれという番組がある。泊めてくれた家の車のナンバーをモザイクかけるならわかる。しかし、家の中にあるブランド名にはもれなくモザイクがかかっていることが多々ある。全く意味不明。たとえば、お父さんが飲んでいるビールにモザイクがかかっていると、むしろその部分が気になってしまい、会話のやりとりがわからなくなるほどだ。
そしてタイトルの部分だが、
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テレビ業界に入ったばかりのAD時代、先輩ディレクターが担当した番組のオンエアを局のスタッフルームで一緒に観ていたとき、かなり大きな地震があった。そのときの先輩ディレクターの怒りと嘆きはすごかった。なぜよりによってオレの作品が放送されるときに地震なんて起きるのだと、大げさではなく髪をかきむしって悔しがっていた。地震の速報テロップが画面に入るからだ。それほどに画に誇りとこだわりを持っていた。モザイクなど論外だった。
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本気で「作品」を作っている人間ならこの怒りは当然だろう。いや、怒ってどうなるモノでもない。天災だからどうすることも出来ないのはわかる。しかし、モノ、それも形に残らない表現を「創る」人間にとっては、いかなるノイズも認められないものだ。今のテレビを見ていると、そこまでこだわって創っている人間がいるのだろうか? いや、本当にこだわっているのなら、こんな表現はしないだろうと思える軽薄短小な番組ばかりになってしまった様に思えてならないのだ。