某月某日
ポストに分厚い封筒が入っていた。 JCB から来ているということは、三年前から持っている ANA JCB ゴールカードの関係と思われる。
きっかけはこの Tweet だった
【おたずね】新幹線の名古屋駅で2〜3時間空いてしまった時の過ごし方で、何かいいアイデアご存知ですかー?
— 鮭子Haaaan!!! (@Kco_han) November 25, 2014
名古屋駅で乗換のために2〜3時間潰したいとのこと。名古屋人としてこれは答えないわけにいかんよね( ̄ー ̄)ニヤリ
というわけで、色々考えてみた。
最近寒くてほとんどカメラを持ち歩いてなかったんだけど、出歩く陽気になってきたとともに、なんとなく単焦点レンズを買ってみようと思った。
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ある朝の電車にて。
朝、割りと早い時間に乗った電車は、羽田空港からやって来た電車だった。ちょうど席が埋まって、扉間には片側2, 3人づつ立つくらいの、適度な混み具合。コレより後の電車になると、つり革が埋まり始まり、押し合いへし合いが始まるので、辛うじて「快適」に通勤できるぎりぎりな早さの電車だった。その分朝が早く眠い。いつもの癖で海側が見える向きで立ち位置を確保した。ぼんやりした頭で座っていた客を見渡したところ、通勤客と空港から来たと思われる旅行客とが2:1くらいに見えた。そして電車は走りだした。
窓からの日差しを遮るブラインドが珍しく全開だったので、まださほど高くない冬の日差しに目を細めながら脳がジワジワ覚醒していくのを感じた。高架から見える町並みは、京急に並走する国道15号線。いつも自転車で走る道を眺めたなら、手持ちの iPhone で毎朝の日課であるカナダの国営放送 CBC をネットラジオで聞いていた。 iPhone 5s に変えてからというもの LTE の帯域の太さをフルに活かしたネットラジオが実に快適に聞ける。 iPhone 4s の頃にはすぐ接続が切れていたことを思うと、実にありがたいことだ。
電車は程なく平和島に着いた。ここで乗客が多少乗ってきたが、全く押し込まれる感はない。目の前に座っている乗客達も降りる気配がない。ふと、一番端に座っていた中年の女性がソワソワしながら駅を覗き込み、扉脇に立っていた女子高生になにかたずねているのが見えた。見ると大きなかばんを抱えた旅行者だ。イヤホンが耳をふさいでいたのでやりとりは聞こえなかったが、どうやら女子高生が的確な回答をできなかったらしく、女性は再度座ったもののソワソワしている。身を乗り出すのも不自由しない程度の車内だからと、イヤホンを外して話しかけてみた。
「どちらへ行かれるのですか?」
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月曜日休んだので三連休となった週末が開けた朝。ニュースを見ながら朝食を摂っていたら、京浜東北線と東海道本線が人身事故で運休という。
「あ〜あ、また京急に乗客が殺到するのか・・・」
ため息を付きながら Twitter で状況把握しつつニュースを見続けていたら、8時45分ごろに「運転再開」のニュース。
再開してくれたなら、横浜からの振り替え客が捌ける30分後くらいには落ち着いているだろうと思い、9時15分頃に京急蒲田へ行ってみた。
第一京浜側から駅に近づくと、なんかざわついていて人も多い。振り替えがあった関係だろうと思って駅の入口へ来てみたら、なんじゃこりゃ!?
14系および24系B寝台の三段→二段化は昭和57年にはじまり、昭和61年までに、急行運用される一部の14系を除いて完了した。
それまでは、
上段: 79cm
中段: 75cm
下段: 73cm
であった高さが、
上段: 127cm
下段: 109cm
に。
すげー、大盤振る舞いな頭上スペースだったんだな((◎_◎;)/
列車給仕(通称:列車ボーイ)が乗客への雑務や寝台の設置・解体をやっていたが、1962年(昭和37年)7月に廃止。「乗客掛」となり、後に「車掌補」となる。
車掌補 – 寝台の設置解体および車掌の補佐を行っていたが、1976年(昭和51年)10月に廃止。
1300人のうち450人が専務車掌に、850人が車掌(乗客案内)および列車掛となった。
寝台の設置解体は業者に委託とされた。
専務車掌 – 「乗客専務車掌」ともいい、車掌が扉扱いなどの運転業務に専念すべく、乗客対応に専務する車掌のこと。
国鉄〜JRの夜行列車の代名詞であった「ブルートレイン」の語源は、南アフリカのプレトリア〜ケープタウンを運行していた寝台列車「ブルートレイン」だと聞いていたが、フランスのカレ〜パリ〜コートダジュールを結んでた、ワゴンリー社の寝台車編成による地中海急行の “Train Bleu” が由来という説もあり。